霞と側杖を食らう

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ちゃんと教育して叱ってくれ

 勉強が何の役に立つのかという疑問を子供に問われたとき、どう答えるか。「子供に「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と言われた時、「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」と返すのが最強」なんて言う人もいる。たしかにそうだけれど、子供に言う台詞ではない。

 

 丁寧に考えるとしたら、役に立つとは何かの定義から始めるべきだろう。「役に立つ」を考えるとき、役に立つ対象は何かをまず考えなければならない。個人にとってなのか集団にとってなのか社会にとってなのか。子供に問われているのならば、その子を対象にすべきだろう。この制御の理論はロケットが宇宙空間でどこに位置しているかを推定するのに使われているなんて説いてロマンを感じる子供もいれば、自分とは関係ないと思う子供だっているだろう。誰かに役に立つとは、その個人にとっての利得関数の出力を高められるということとする。利得関数を高める問題へと帰着した。次に利得関数の設定が問題となってくる。どういう関数形になるのか、その関数形はどれくらいの期間を想定しているのか、関数の入力である自身の選択はどれくらいあるのかなどなど。勉強することは少なくとも選択肢の幅が増えることに繋がる。利得を高める可能性を増やせる。これが役立つことのひとつではないだろうか。

 

 自分はなぜ勉強しているのか。何かを知るとき楽しいからだ。もっというと、頭の中で、知識の点と点が繋がって線となって、線と線で面ができ、立体、高次元の何かに発展していくのが快感だからだ。誰にも邪魔されない頭の中で、楽しめるのだから素晴らしい。ビートたけしは「勉強を教科の範囲内としてしか、とらえられないなら相当頭悪いよ。哲学や論理的思考を養って人生を楽しむ応用が利くように、あえて国語や数学って形でパッケージして教えてるんだよ。それを理解しようとせずに、中身を知ろうとせずに袋詰めのまま「役に立たない」ってゴミ箱に捨てちゃうなら、そりゃ時間の無駄だし人生の無駄だよ。」と言ったらしい。まさにその通りなのだけど、この楽しみ方ができるか否かの差はどこに出るのかが気になるところだ。少なくも自分は金銭的に役立つから勉強しているのではない。楽しいから、楽しさという利得が得られるから勉強している。利得関数に楽しさが組み込まれているのだ。子供たちに教育する場合、この組み込みが大事だと思われる。