拉麺の告白

「僕には、僕を殺してほしいという欲求があるんだ。心に棲まうモンスターみたいな欲求なんだけど、けっして自殺願望なんかじゃない。けして、そんなもんじゃない。自ら命を断てるほどの選択は僕にはできやしない。そして、連続殺人犯だとか強盗、通り魔だとかにナイフで刺されたいとか銃で撃たれたいなんて欲求でもない。物理的な、生物的な死を求めているわけじゃないんだ。心臓が止まって、脳が動かなくなって、楽になりたいっていうものではない。いや、ちょっと近いかもしれない。思考を止めて、苦しみから逃れて、楽になりたい。これが僕の欲求に似ている。こんな欲求が満たされる瞬間は普段、ふつうに生きていても手に入りやしない。でも、ごくたまに、そんな瞬間は訪れるんだ。そんなときを過ごしている間は、言葉じゃ良い表せないほど、幸福なんだ。でも、その間に、何かを意識しているわけじゃないから、実は記憶にとどまっちゃいない。ただ、幸福だった気がする。そんな気持ちが、終わった後に残っている。残り香のような幸福感に浸っていられる。僕が殺されている瞬間というのかな。我を失っている瞬間。主観を無くして客観に入っているような。忘我の境なんて言葉が近いのかもしれない。じゃあ、いったい、いつその瞬間ってやつはやってくるんだって話なんだよね。いちばん、かんたんに僕を殺す方法ってのは、集中することさ。もちろん、かんたんって言ったって誰もがいつでもできるわけじゃない。自分のもってる能力の限界を引き出して無意識に何かに集中して取り組んでいるとき、その瞬間はやってくるんだよ。勉強だってスポーツだってかまわない。この方法に似たようなことは宗教だとかで行われているんだと思うよ。ただひたすらに祈るだとか、お百度参りだとか、イスラム教のぐるぐる回って踊るやつなんてのもそういうことなんじゃないかなって僕は思ってる。単純な行為をなんべんもなんべんも繰り返して、自分を忘れてしまうというのが狙いなんじゃないかなって僕は思ってるんだ。まぁ、そんな二つの方法のほかに、もうひとつやり方があるんじゃないかって最近気づいたんだ。自分より好きな、自分のことを好きな人を好きでいることなんじゃないかなって。自分より好きな人がいる自分が好きなのなんて歌っているバンドがあったっけ。つまりはそういうこと。自分じゃない誰かに没頭しているときってのは、僕が殺されているときなんだよ。君のキスや匂いが僕に生きた心地を与えてくれるなんて英語で歌ってるバンドもあったね、タイトルはなんだったかな。思い出せないし、この話は、このへんでおしまいにしよう。あと、最後に、ひとことだけ。僕はラーメンが好きだ。食べた後、美味しかったっていう幸福感に浸れるからね。」