霞と側杖を食らう

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きっと何者にもなれないお前たちに告げる

 就職活動がほとんど終了した。あとは、最後の決断をするだけだ。選択肢から一つ選んで、路線を決める。人生の分岐点に立たされている。何物でもない自分を何者かにするときが、とうとう来たのだ。まもなく世界線の収束が始まる。
 人生の大きな分岐点は今まで何度かあった。中学受験の志望校選び、文系理系の選択、志望大学の選択、大学院の選択と経験してきた。けれども、就職先の決定が一番重い。心は揺れる。本当にその決断で良いのか。後悔しないのか。やっていけるのか。分からない。長く続いたモラトリアムの終焉が目の前に来ている。
 小学生だった頃、ニンテンドー64マリオストーリーというゲームが好きだった。中でも、ヘイホーというキャラクターがたくさん出てくるステージが好きだった。仮面をつけたヘイホーが転ぶシーンが可愛らしかったのを覚えている。大学生になって、千と千尋の神隠しを見て、カオナシが好きになった。お面をつけて佇む姿に惹かれていた。思い出してみると、ゼルダの伝説ムジュラの仮面も好きだった。(自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張るつもりは毛頭ないが、一番古い記憶は、四歳くらいの頃、病院の待ち時間に、ゲームボーイポケモンをしていて、フシギバナで戦っていたシーンだ。)お面や仮面に、何か惹きつけられるのはなぜだろうか。
 自分の生き方を見直してみると、一つの本質的な芯を立てて、その周りに面を作って、それでもって、人に対応している気がする。つまり、ある程度の一貫性を見せながらも、その芯の内側を見せないように、相手に合った面を見せている。何者かを提示せずに、お面をつけているだけなのかもしれない。そんな生き方をしていたから、お面をつけたキャラクターに、仲間意識でも抱いて惹かれていたのかもしれない。
 就職して社会に出るということは、自分が何者であるかを明示しなければいけない。社会に対してお面をつけているわけにはいかない。何者であるかを決定して、示さなければいけない。仮初めのペルソナを外さないといけない。生存戦略として。