霞と側杖を食らう

ほしいものです。なにかいただけるとしあわせです。[https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/2EIEFTV4IKSIJ?ref_=wl_share]

これは酒です

上野の美術館や博物館が休館しているらしい。例のウイルスのせいだそうだ。休館が始まる前に、トーハクと科博を訪れておけてよかった。トーハクでは、常設展の「人、神、自然」を観て回り、科博では、相転移の展示と科学技術の展示を観た。トーハクの昔のアートと科博の今のサイエンスを一日で味わうのは、ギャップが激しくて面白かった。いち早いウイルス騒動の沈静化と美術館や博物館の再開が待ち遠しいものだ。

信仰が建築技術や工芸技術と関わってきたことはトーハクで見たわけだが、お酒もまた信仰と関わってきた。口噛み酒は神事において巫女が作っていたところもある。キリスト教カトリックにとってワインはイエスの血である。ピラミッドの建設の労働の対価でビールが配られていたという話もある。お酒は、思考の速さを落とし、広さを狭め、余計なことを考えなくさせてくれる(余計なこと以外も忘れてしまうこともあるが)。人々の不安や憂鬱といった感情を一時的に和らげ、現実からの逃避を手助けしてくれる作用が信仰と密接にかかわってきたのだろう。

問題からの逃避は、問題解決の一つの手段である。問題の解き方を多種多様に持っておけば、問題を解決できる可能性は上がる。何かの手段・方法を学ぶことは、解法の手札を増やすことであるが、これはあまり意識をしなくても行うことができる。一方で、問題をどう発見するか、どう設定するかについては、考えが及びにくく、実行しにくいように思われる。実際、私自身、問題の発見の仕方について、重要性は感じていても、その仕方をどうやって学んだらいいのか、昔から困っていた。そんなときに、『ライト、ついてますか―問題発見の人間学』を知った。知ったきっかけは以下の記事を読んだことだった。

 

どうすれば問題を見つけられるようになるのか|うっちー|note

 

本書では、問題とは、理想と認識との相違であると定義して、問題とはいったい何なのか、誰にとってどのような問題なのか、どう設定するか、そもそも解く必要があるのか等が書かれている。読んだときの覚書は昔記事にした(https://moratoriamuo.hatenablog.com/entry/2020/01/23/001916)。 問題の解き方については、『いかにして問題をとくか』が有名だが、問題発見について考える素地を手に入れることができたという意味で、『ライト、ついてますか―問題発見の人間学』を知れて良かった。加えて、『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』も読んだが、自分の解くべき問題を選択することの重要性が書かれていて、これもまた一読の価値はあった。

思考の対象を自分でコントロールすること、見えない構造を見抜くこと。David Foster Wallaceという作家が、とある大学で行った卒業スピーチの和訳のリンクを貼って、この記事を締めることにする(https://j.ktamura.com/this-is-water)。