霞と側杖を食らう

ほしいものです。なにかいただけるとしあわせです。[https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/2EIEFTV4IKSIJ?ref_=wl_share]

Netflix/YouTube/AmazonPrimeVideo

おうち時間だとかSTAY HOMEが掲げられるこんな御時世なもんで、家に引き籠って動画配信サービスで動画を垂れ流していることが増えた。Youtubeで一発撮りの動画を見て歌ったり、アマプラでM-1を第一回から見てお笑いの変遷を眺めたりしている。昨年のM-1の優勝者はミルクボーイだったが、彼らのコーンフレークのネタは衝撃的に面白かった。コーンフレークという単語を聞くだけで少し笑ってしまう。彼らはそんな意味付けを我々に与えたのだ。この衝撃は凄まじい。

今年の言葉で言えば、コーンフレークのほかに多目的トイレという言葉にも笑ってしまう。以前は何ともないニュートラルな言葉だったのに、何か言葉にとって普通じゃない体験が影響して、言葉の印象を変えてしまうことは多々ある。これは言葉に限った話ではなく、映像や物語、音楽だって同様だ。たとえば、ラヴェルという作曲家が書いたボレロという曲があるが、人によっては光が丘で恐竜のようなモンスターが登場する映画を思い出すかもしれないし、向日葵に囲まれてスネアを叩いている可愛らしい少女がジャケットのアルバムを思い出すかもしれない。そもそもバレエ曲なので、バレエだとかスケートだとかの演技が頭に浮かぶ人もいるかもしれない。知識や体験の有無で、感覚が変わる。世界観が変わる。

同じものを味わっていたって、見えている世界が違うわけだが、より豊かな経験で以て、味わう方が面白いと個人的には思う。そういう考え方をしているから、貪欲に知識の吸収し、積極的に未知の体験を求め、自己の世界観を耕している。一方で、そういった趣味や習慣の行動が全く無い人も多く見受けられる。趣味がNetflixYouTube、AmazonPrimeVideoといった動画サイトを垂れ流して見るだけという人が意外といる。自分を構成するものを受動的に摂取するだけとなってしまっているのだ。新しいものを自分で探索して消化することはエネルギーを要する。その営みに慣れていない人、余裕のない人や営みから得られる快感を期待できない人には難しいのだろう。いわゆる、コスパが悪いってやつだ。こんな風に外側から冷静に見れているようだけれど、一番恐れているのは、自分がそのように思うようになってしまうことだ。忙しさに追われて習慣が薄れたり余裕を失っていくうちに、そのような感性になってしまうのが怖い。

私たちはこの10年で地震や疫病といった天災に見舞われてきた。もちろん実害も多いが、価値観の変容といった影響も大きいように思う。どのように変化しているのか現在進行形で捉えられるわけではない。それでも、自分が良しとするものを丁寧に見極め、真にカルチベートされ、疫にも負けず、そういうものに私はなりたいにゃ。