霞と側杖を食らう

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「恐怖」を克服することが「生きる」こと

 ダムはいい。人だらけの都会を離れて山奥へと向かっていくと、自然の景色が広がっているのだが、そこに巨大な人工物が自然を抑え込んでいるのだ。都会では見られない自然と人間の対立の構図が待ち構えている。ダムの魅力はそこにある。放流のシーンはとくに圧巻である。抑え込まれていた水を解放すると、自然の状態へ戻ろうと下へ下へと落下していく。人間はその落下さえ、人間のものにしてしまう。人間の末恐ろしさを感じる。これだけの巨大な構造物は当然簡単に作られているわけではない。工事の過程で、多大な犠牲を経て完成している。見えない歴史を感じて一層、恐ろしさを感じる。ダムの良さは、ダムを目の当たりにしたときに感じられる凄みにこそあるのだ。
 ところで、ムダはどうだろうか。ムダはいいのか、わるいのか。意味もないムダな作業をやらされるのは、個人的には何よりも嫌いだ。一方で、全く意味のないことだけれど好きでやっていることはムダなのだけれど、心地よいなんてこともある。さて、いったいどういうことなのか。ムダを省くこと、つまり効率化は、ある費用関数を用意したときの最適化だ。結局は、この最適化問題をどう設定しているかの違いだろう。どういった費用関数があって、制約は何か、最適化を図る期間はどのくらいなのか、これを意識すればムダかどうかの議論に起きる対立の大半は解決するように思われる。コスパがどうとかで争われるムダな議論は、これを確認すべきだと思う。
 企業ではムリ・ムダ・ムラを省いて、効率化を図ろうという動きがあるが、心のムリ・ムダ・ムラについて、書かれているのが、『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』だ。

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最近、この本を読んだのだが、この本が役立つ人は周りにたくさんいるような気がしたものの、個人的にはそこまで学ぶことは少なかった。だいたいの感情のコントロールの仕方は今までの経験から学んでいた。高校3年生の秋に不登校になった経験だとか、その他諸々の挫折から、いつの間にか身につけていたみたいだ。不登校で学校にも行かず何もしなかったあの期間は一見ムダのように見えたが、実際はそうではなかったのだ。早いうちに学べていて良かったと今では思う。そういえば、最初にダムのよさを熱弁してみたが、ダムには行ったことがなく、すべて想像で書いたムダな一段落であった。何がムダで何がムダじゃないのかなんて結局のところ、よくわからないものだ。