霞と側杖を食らう

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文化は内輪ウケ、米菓はばかうけ

 Amazonオリジナル番組の『THEゴールデンコンビ』を観た。賞金1000万円を目指して、お笑い芸人が普段組んでいないコンビでお題に沿った即興ネタを披露していく番組だったのだが、ネプチューンのホリケンとニューヨーク屋敷のコンビが個人的に最高だった。ホリケンの突飛な発想と手数に対して翻弄される屋敷の構図が面白かった。その後、youtubeのニューヨークのチャンネルでホリケンとニューヨークが後日談的なトークをしていたのだが(https://www.youtube.com/watch?v=m3bipfitIAY)、この動画は良かったホリケンが深掘りされるのはあまり見ないから新鮮だったし、ネプリーグの休憩中にホリケンと林修が競馬の話してるってとこは、とくに笑った。

 ホリケンは昔から好きだった。しゃべくり007の即興コントやIPPONグランプリ大喜利の回答に笑って育ってきた。IPPONグランプリで言うと、バカリズム千原ジュニアの回答も好きだけれど、自分が死ぬまで考えても思いつけないであろう回答をするのがホリケンだった。想像もつかないところに飛ばしながらも、ギリギリ理解が及ぶ範囲だと面白い。これは俳句の取り合わせの妙に似ていると思う。俳句では、17音の中の季語ともう一つの素材が、近過ぎず、遠過ぎず、あまり見かけない新しさがあると面白いと評価される(と思う)。

 大喜利を題材にした漫画で、『キッドアイラック!』というものがある。3巻で完結するので読んでみた。大喜利を音や間を使いにくい漫画で表現する点や読ませるストーリーがあった上で大喜利を組み込まないといけない点に苦難している感じはあったが、題材やセッティングは良かったし、大喜利に関する言語化も良かった。「裏切り、極端化、逆、盲点、不条理、斜め上」による、常識を覆すような斬新な発想と、「場の空気、間、読み方、勢い」の回答の技術が重要というのは、問いの立て方や発表の技術にも似ている気がするが、このへんはまたいつか書くことにする。もう少し言語化が多かったら良かったと思った。

 鷲田清一の『ちぐはぐな身体』の「はずし、ずらし、くずし」という節で、ファッションの先端に位置するのは、服の文法を外したり、侵したりする服であり、伝統芸能の能でいうところの「非風」をまぜることで生じるちぐはぐさがかっこいいということが語られている。(ファッションに関していうと、『東大ファッション論集中講義』や『服を着るならこんなふうに』も面白い。近いテーマだと『「いき」の構造』、『勉強の哲学: 来たるべきバカのために』が参考になるかもしれない)。ファッションについては、また機会があったら何か書く。

 さて、色々と書き連ねたが、ルール、制約、常識、共通認識といった範囲があって、その範囲の境界を少し飛び出るような発想が、多くの分野、文脈、ジャンルで「面白い」とされるように思う。マジカルラブリーがラジオのオールナイトニッポンか何かで「文化は内輪ウケ」という話をしていたというのを何かで見かけた。この言葉にはとても共感した。内輪で範囲を共有することと、それを少し超えることが「面白さ」を生む一つの方法なのだろう。排他的な内輪はいつか縮小していくし、範囲の無制限な内輪は面白さが生まれない。外圧と内圧のバランスこそが文化の継続に必要なものなのだろう。逆に、何かの文化に参加する際には、内輪のノリに乗っていくことも重要だし、別のところへ行くためには、そのノリには乗らないでおくという選択をすることも大切なのだ。