霞と側杖を食らう

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唇から零れ落ちたラララ

 小さい頃から、なんでもできるひとへの憧れがあった。小さい頃は、兄のすることを真似して、なんでも自分でやりたがった。靴下を人に履かされることを嫌がり、自分でやると必ず言っていたそうだ。そんな記憶はないけれど。兄の真似をして塾に通って勉強をして、中学受験を受け、私立の中高一貫校に入った私は、レオナルドダヴィンチを知る。ダヴィンチコードを読んだからだった気がする。『モナリザ』や『最後の晩餐』などの絵画だけでなく、広範囲の分野で業績を残して、万能人なんて呼ばれていることを知った。このとき、天才へのあこがれのようなものを抱き始めた。こうして、天才、頭の良い人、すごい人がどういう思考をしているのかを探していくことになる。中学2年か3年の頃、本屋でふと手にしたのが『ドラゴン桜』だった。これを読んで、なんとなく東大を目指そうと思ったはずだ(その頃、学校での成績は大して良いわけでもなく、担任との面談で志望校を東大って言ったら、笑われた記憶がある。)。その後、勉強の仕方やモチベーションの維持の仕方について考えるようになる。とくに、影響を受けたのが、吉永賢一の『東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法』という本だった。「覚える、わかる、慣れる」を繰り返す。この本から教わったやり方を試験前に実行して、成績がどんどん伸びていった。常に勉強しているような人たちには勝てなかったけれど、校内でも上位の方に入れるようになった。結果として、諸事情を経て浪人したとはいえ、東大に入学できた(メンタリティーとしては、スピードスケート金メダリストの清水宏保に学んだところもある。他に、浪人しているときは将棋を少し学んだ。高校数学は五手詰め、難しくとも七手詰めの詰将棋みたいなもので、将棋の奥深さに比べたら簡単だと考えたこともあった。)。高校までの勉強や大学受験の勉強はこれで十分だった。


 勘違いの全能感を溢れさせている大学新入生はよくいるが、自分がトップになるような経験はなかったし、浪人していたこともあって、そのようになることはなかった。ただ、それまでの勉強の仕方に疑問はとくに抱いたりすることはなかった。しかし、学部後半になり、経済学や統計学を真剣に勉強するようになってから、どうも周りの優秀な人々と、論理の思考スピードや知識の吸収速度が違うことを感じるようになった。やみくもに繰り返して理解吸収していたそれまでのやり方が通じなくなっている。そのやり方では時間が全然足りない。もっと深く確実に一歩一歩足を進めていくような学び方が必要だと感じた。狭義院死を経験したことが大きい。そんな時期に読んだ『3月のライオン』という漫画の台詞が深く心に突き刺さった。「タイトル戦でふっとばされた人間はね、みな一度は調子を崩す。それはね、当たり前。このままじゃダメなんだと番勝負の間に徹底的に思い知るからだ。そして、自分を一回バラバラにこわして再構築を試みるからだ。また一からな。」


 現在、こわして再構築する段階にある。どうすれば頭が良くなるのか、才能とは何かを模索している。『SHIROBAKO』の「才能っていうのは、何よりまずチャンスをつかむ握力と、失敗から学べる冷静さだと思う。僕は僕より上手い人間が、わずかな自意識過剰やつまらない遠慮のせいでチャンスを取りこぼしてきたのを何度も見た。」という台詞や将棋の羽生善治の「何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。」という言葉を参考にしながら、万能を夢見て。