霞と側杖を食らう

ほしいものです。なにかいただけるとしあわせです。[https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/2EIEFTV4IKSIJ?ref_=wl_share]

ゴミ箱を飛び越えた先にある

リモートワーク主体の労働をかれこれ二ヶ月続けている。満員電車の通勤を回避できていることは大変素晴らしいことであるが、リモートワークに起因してストレスがかかっていることもある。PCのスクリーンや冷暖房といった職場の設備が無い分の効率低下もあるが、とりわけストレスフルなのは、仕事の共有時のコミュニケーションの情報量が格段に落ちていることだ。情報共有が基本的に画面上の文字情報に依存してしまうため、意思疎通に困ることが増えた。対面で相手の顔や声、仕草を感知しながら、理解できることがある。画面上の言葉だけでは、何が分かっていて何が分かってないのかを表現する言葉がまだ不足している。分かってなさを、言葉の滞りや表情の崩れ具合で伝えることもできない。社歴が短く、分からないことがまだまだ多い私にとって、この問題が重く感じられている(話は逸れるが、リモートで講義を受けている学生は、同じ空間にいる人がなにか便利そうなツールや面白そうなものごとやってるということを見かけるということが、「なにか」を知るきっかけになるわけで、そのきっかけが乏しいとますます乏しくなって辛いよなと思う)。

先日、ファッションモデルからソフトウエアエンジニアになった人のnote(https://note.com/d0iasm/n/n5b2b8b4891a1)を読んだ。この文章の一文の、「基礎知識がなければ自分の問題点をうまく表現することすらできないことに気付き、自分で理論を学ぶことにしました」というものにとても共感した。どういう言葉で質問すればいいのか、どういうキーワードで検索すればいいのか、今考えていることは分野全体においてどの位置を占めているのか、こういったことは基礎となる理論や枠組みを捉えていないと難しい。基盤のフレームワークから、気になる事柄の位置づけを知っていたり、調べたいことの調べるための言葉やその周辺を知っていたりしないと、新たに学んでいくのが大変になってしまう。基盤に加えて、世界に馴染まないと分からない空気感、前提知識、暗黙の了解というものもある。共有が難しい、世界に浸らないと分からないこともある(日本語の「は」と「が」の使い分けって相当日本語に馴染んでいれば分かると思うが、それを説明するのは難しい。これに似ているかもしれない。こういったことは、簡単に分かりやすく説明しろと言われても難しいものだ)。

上のnoteの一文が、書き手がエンジニアの世界に入ったときに感じた言葉であったように、こういったことは未知の分野に入ったときに起こりうる。私は今、医学薬学分野に入りたてなのだが、この分野の言葉に慣れ、枠組みを捉えるために日々奮闘している。分からないという状態に居続けるのはすごく辛い。コンフォートとは程遠い。ときに、光の届かない暗い海の底にいるような気分になる。辛いならわざわざやらなくてもいいというのも一理ある。分からないということを忘れてしまうこともできないわけではない。わざわざ海の底に潜り込まなくとも生きていくことはできるのだろうけど、だが、しかし、分からないという状態から分かるという状態になったときの快感を忘れられないのかもしれない。潜って潜って世界が拓けた明るい場所に出られたときの興奮の虜になっている中毒者なのかもしれない。もしくは、知らないことに対する恐怖から逃げようとしているのかもしれない。そんなトリツカレやオソレで以て、また深い海の底に飛び込んでいってしまうのかもしれない。

本当は、こんなことはわざわざ書かないつもりだった。一見すると軽々と物事を理解していく人も多くいるだろう(内実ともにそういう人もいるかもしれない)。そんな人が目立つものだから、こういうことを書くのは少し躊躇われる。しかし、そうでない人だっているだろう。苦しみながらも、理解の歓楽や恐怖に溺れて潜ってを繰り返す人もいるだろう。そんな人を意識して書いている(書いているからなんなんだという話ではあるけれど)。何かを知ることに対して苦しんでいることに対する言語化をしようと強く思い立ったきっかけは、バナナマンのラジオの、とあるフリートーク(https://youtu.be/36nOjZCS4H4)を聞いたからだ。知識、認知能力、学習能力は人によって、広さと深さにバラツキがある。このトークで話されている問題は程度の差はあれ、人間誰にだって関わってくる。押さえておくべき、当たり前のところ。教養という言葉で括られてしまう問題なのかもしれない(個人的には、教養とは、共有できる日常の空間を広げるものだと定義するのがいいと思っている)。何を知らなければいけないだとか、何を知らなくていいだとか、そんなものはきっとないのだけれど、ないとも言い切れない部分もある。どうやって言葉を紡いで締めていけばいいのかは分かっていない。まとまりのない文を連ねて、少し荒れた心情や思考をただここに書き留めておく。