霞と側杖を食らう

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墓石に刻まれし S = k.logW

 熱力学の第二法則もシェイクスピアも私は知らない。

 今週、理系の修士卒の人がExcelにスクショを貼る仕事で鬱になったブログ記事が話題になっていた。

dawn2721.hatenablog.com


「※理系が所謂『文系でもできる仕事』に従事するとロクな感情を抱かない可能性が高い。」という一文が火種となって燃えているようだ。この文章を書いた人に同情する面もあれば、この文章を読んで怒りを感じる人の気持ちも分かる。文系でも理系でもないキメラのような存在である私は、どちらの側にも中途半端に立ててしまう。鳥の一族にも獣の一族にも居場所を見つけられなかった蝙蝠ではないので、私は今のところ無事、鬱病にならずに働けている。

 鬱病と診断されたことはないから本当のところは分からないけれど、経験で知る限り、精神を病むのはとても辛い。周りの人も対処の仕方が分からず対応してしまってこれまた辛い。周りの対応について、事例で以て考え方を紹介している本を最近読んだ。

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正常と非正常は簡単に入れ替わる。非正常を排他的に扱って、感知しないところに置いておくべきではない。すぐそばにあるものだと認識していないと、気付かぬうちに深いところまで落っこちてしまう。鬱病になったり、狂気に走ったりしないように、そんな風にして日々を生きている。

 会社で働き始めてからというもの、「金は命より重い……!人は金を得るために、人生の多くの時間を使っている。言い換えれば、自分の存在……命を削っている……!」というセリフが実感として理解できるようになった。時間を、命を切り売りしてお金をもらっている。最近、命の重さが重くなっているということを日本の歴史を辿りながら見ていくブログ記事をこの前読んだ。

locust0138.hatenablog.com


馬場あき子の『鬼の研究』を読んでいるところだったのもあり、とても興味深く読むことができた(矢継ぎ早に挟んでくるボケも面白い)。読んでいて、過去に世界史で学んだことが思い出された。カノッサの屈辱とルターの宗教改革でどちらも破門が関係してくるが、キリスト教世界の教皇の権力の強さが二つの時代で異なるということだ。前者の時代では、破門すなわち封建制で双務的契約関係を結んでいる内側から追い出されて、外側で孤立し、ヒャッハーとやられてしまうことを意味する。後者の時代では破門されても他の諸侯に保護されていたように思う。ヒャッハーな世界であったのは、日本も西欧も変わらなかったのではないだろうかと考えながら読んでいた。日本の鬼は日本の鬼で奥深い文化であるのだが、西欧でいえば、それはゴブリンに該当するのだろうか。気になるところである。

 時代は現代の話になるが、今年の夏の終わりに六本木でやっていたPIXARのひみつ展を訪れた。その副題が「いのちを生み出すサイエンス」であった通り、トイストーリーなどのキャラクターが命を持っているかのように動くアニメーションの作られ方が解説されていた。実に面白い解説の数々であったが、そんなアニメのいのちの源は、実はアニメーターが捧げて吹き込まれる命であることに頭の奥で気付いていた。どんなものでも命を犠牲にした代償なんだなんて思考に陥ってしまうのだが、しかし、結局は、そんなこと言ったってしょうがないじゃないかということなのだ。神はサイコロを振らない。人はサイコロと同じで、自らを人生へと投げ込むのだと。そんな風にして、私たちは、生きるべきか死ぬべきか、それが問題だということなのだと。

 明日雪が降るかもしれないという話を聞きながら、この話を書くのをやめることとする。