霞と側杖を食らう

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落陽の鹿

志村が死んだ。今回はフジファブリックではない。志村けんだ。志村けんの死は世間に大きく響いたようだ。志村も死んだが、ワニも死んだ。それと同時にその評判も死んだ。評判の死因は色々な人が分析していた。簡単に言ってしまえば、PR会社の仕事がただ下手だった(https://anond.hatelabo.jp/20200327165602)に尽きると思う。良さを台無しにする施策の数々。自然な流れの中に不自然を無理やり埋め込む不調和。良さに浸ろうとしていたところに、急激に邪魔な情報が入り込んでくるとイラッとする。これに似たようなことは少し前に書いた(https://moratoriamuo.hatenablog.com/entry/2019/10/16/225005)。

この評判の急落騒動が起きてから全部読んだって人で、「全然面白くなかった」と言っている人もいたが、個人的には内容は悪くないよぅに思った。「100日後に死ぬ」という意外な発想、死ぬことだけが決まっているほのぼのとした日常描画の毎日投稿、確実にやってくる死の原因を想像させる空間。これらの条件が揃って、この作品の良さは発揮されていた。条件が揃わずに味わったってそれは感じるものも違うだろう。新鮮味が売りで良いとされたものは、新鮮味が失われれば良いと評価しにくくなるのも当然だろう。だからといって、それが良かったと評価されうるべきものだったことは無視するものではないように思う。

最近観たアニメで、映像研がとても面白かった。『映像研には手を出すな!』だ。「チェーンソーの振動が観たくて死にかかってる人がいるかもしれない。私はチェーンソーの刃が跳ねる様子を観たいし、そのこだわりで私は生き延びる。大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなくちゃいけないんだ。」というセリフが熱かった。このアニメ(漫画原作の作品だが)を象徴していたように思える。細部に対して叫びたくなるほど熱烈にこだわりを持って、それを表現する人がいるのなら、そのこだわりに気付いて評価できる人間でありたいとも思った(そういえば、自分は人が熱烈に好きなものを語っているのを聞くのが好きなのかもしれない)。

先日は、春が来たというのに、桜咲く木に雪が降り積もった。寒いのはどうも苦手だ。陽炎立ち昇る、アイスクリームの美味しい夏の到来が待ち遠しいものだ。新型のウイルス騒動で人がたくさん死ぬのはもう辛い。災害の収束した夏を鶴首して待っている。